(深津真澄論説委員=写真も)
北京市から北西へ70キロ余りの八達嶺の万里の長城の一角に立つと、中国語に英語、日本語、フランス語とまことに国際色豊かである。北京の故宮、杭州の西湖、上海港の遊覧船など、観光名所はどこも似たような状況で、かつて外国人の受け入れを厳しく制限していたことがうそのようだ。
○日本から昨年48万人
中国政府の旅遊統計年鑑によると、昨年1年間に中国を訪れた外国人は148万人余りで、前年に比べ8.2%の伸びとなっている。外国人のなかで、日本人は48万人と断然多い。次いで米国が29万人、英国とオーストラリアが7万人台で続く。148万人という数字は、対外開放に踏み切った1978年に比べ5.5倍。15億3000万ドルという外貨収入は4.8倍にあたるという。中国政府としては、アジア競技大会の開かれる90年に500万人、2000年にはオリンピックを誘致して1000万から1200万人の観光客を受け入れ、80億ないし100億ドルの外貨を稼ごうともくろんでいる。
このほか中国人の国内旅行者が随分多い。昨年は1億7000万人が旅行したそうだが、最近は職場や村の単位でのグループ旅行が目立っており、ことしは2億人を超えるといわれている。生活水準の向上を反映した現象であろう。
○職業校でマナー訓練
社会主義国のホテルやレストランのサービスの悪さは定評がある。中国もご多分にもれず、衛生状態もあまり気にしないことが多かったが、いま観光地や外国人向けホテルでは「優質服務」「文明衛生」をモットーに、汚名返上に懸命だ。日本語にすれば「サービス向上」「清潔第一」といったところだ。
安徽省の九華山や黄山といった相当な山の中でも、洗濯のきいた清潔なシーツとタオル、水洗トイレが用意されている。黄山の入り口にあたる人口10万の屯渓のホテルでは、食堂のウエートレスが片言の日本語でサービスしてくれたことに驚いた。大都市のホテルでもきちんとあいさつする従業員が多いが、専門の職業学校があって簡単な外国語やマナーを訓練しているという。
以前に比べて観光地が整備され、掃除が行き届いていることも最近の特徴だろう。書聖王羲之ゆかりの地、紹興の蘭亭は文革期のころは荒れ放題で、有名な曲水の宴を開いた小川も、半ば泥に埋もれていたそうだが、いまは清流が流れ魚まで泳いでいる。おまけに、昔の衣装をまとった女子職員が曲水の宴を演じてみせる。
外国人をもてなすことにかけては、2000年の伝統を持つ中国である。その伝統を復活させるのに、たいして時間はとるまい。
○中国的混とんの中で
北京で建築中の高層ビルには、外国資本との合弁による外国人向けホテルが多い。上海でも建設中のホテルが28のほかに、着工準備中が12あるという。
杭州や屯渓といった中小都市でも、建築中のビルは、たいてい合弁事業のホテルだった。最近はホテル建設にストップがかかったらしいが、一般市民の住環境が貧しいだけに批判の声もあるそうだ。
ホテルブームの裏には、いかにも中国的な事情がある。ホテルの建設資金は外資のほかに、国の各省庁が余裕資金を投資することが多い。そこで、北京あたりでは「あのホテルは○○系」といった色分けがある。また、ホテルの指導監督にあたる立場の各地の旅遊局が、それぞれホテル経営に乗り出して、ホテルラッシュに拍車をかけている。
つまり、行政と企業経営が分離しておらず、全体の指導、調整が不十分なのだ。一方で、上海には観光事業を中心とする企業集団が4つもあって、中でも錦江グループは、ホテル、タクシー、遊園地など20余りの企業を持って、行政側を上回る実力を蓄えている。日本の常識では考えられないが、中国政府は各グループごとに競争させることがいい結果をもたらすと考えているらしい。
1000万人の外人受け入れの計画にしても、交通手段や電力の供給が大きな問題になるだろう。ある日本の専門家は「各ホテルの予約や宿泊をさばくコンピューター網をつくらなければ、無理ではないか」とみるが、こうした問題点はわかっていても、なかなか解決できないのが実情らしい。
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