2013/05/14

記事:変わる日本の「難民」像/採用に前向きの企業も

http://globe.asahi.com/movers_shakers/2012091400009.html


[第40回]変わる日本の「難民」像/採用に前向きの企業も

浅倉拓也 Asakura Takuya (朝日新聞大阪社会部記者兼GLOBE記者)


ロンドン五輪では、故国を離れた難民たちが、定住先の代表選手として活躍していた。長く「難民鎖国」と言われた日本でも、次代を担う人材として期待をかけられる難民が増えている。




サントリーに就職予定のクイさん
ベトナム出身のレー・ティ・ニャット・クイさん(24)は東京大学大学院の2年生。バイオテクノロジーの研究室で、病虫害に強い作物をつくる研究をしている。食品会社の商品開発部門への就職を希望し、この春、サントリーから内定を得た。

父親が1990年にボートピープルとして日本にたどりつき、定住資格を得て家族を呼び寄せた。当時クイさんは小学校3年生。最初は国語や社会の授業が、ほとんど分からなかったが、日本語を覚え、公立の高校、大学に進学した。

就職にあたって両親は、「国籍で差別されるのでは」と心配したという。だが、本人は「外国人であることがハンディと思ったことはない。どんな社会へも適応できるし、むしろ強みだ」と自信を持っていた。

サントリー人事部課長の黒木俊彦さんによると、もともと採用は国籍不問だったが、最近、定住外国人の採用例が増えているという。クイさんには、専門知識を生かすと同時に将来はグローバルな舞台で活躍してほしいと期待する。「外国人だから採用したわけではないが、飲料は東南アジアでの販売を広げている。地元の文化や好みを知っていることは、商品開発にも生きる」
ユニクロでアルバイトをしながら正社員をめざすラム・マンさん
ミャンマー難民のリア・チン・ラム・マンさん(36)は、祖国で大学生だった96年に軍事政権の弾圧を逃れて来日した。いまは関西学院大学の3年生。昨秋から兵庫県西宮市にあるユニクロの店舗でアルバイトをしている。「卒業後もこの会社で働きたい。ミャンマーに出店することがあれば、役に立てるかもしれない」

ユニクロは昨年から、難民を対象に約2週間のインターン制度を始め、これまでに10人を採用した。ラム・マンさんもその一人で、終了後アルバイトに転じた。

難民支援の一環として始まった制度だが、正社員への道も開かれている。ユニクロは今春、国内採用した新入社員約140人のうち20人が留学生ら外国籍。CSR部のシェルバ英子さんは「難民の学生は教育レベルも高く、祖国で活躍していた人が多い。将来は正社員採用者がでるよう期待している」と話す。

大学も門戸拡大

日本に定住を認められた難民とその家族は、昨年までに約1万4000人。78年からのインドシナ難民の受け入れで1万1000人余りが移住し、82年からは、国連難民条約に基づき、政治的理由などで保護を求める人を難民と認定し保護する制度も始まった。「人道的配慮」での在留許可も含め、これまで約2600人が定住を認められた。2010年には、タイの難民キャンプにいるミャンマー人を受け入れる「第三国定住」も始まった。

定住が認められると、国の外郭団体「難民事業本部」で、最低限の日本語教育などを受けられる。だが、大人になって来日した人の多くは言葉の壁に悩まされ、いわゆる「3K」労働に従事せざるをえない場合が多かった。

だが、受け入れ開始から30年余りを経て、そうした難民像は変わり始めている。幼いころから日本で育った世代が社会に羽ばたくようになると同時に、日本側にも外国人受け入れの姿勢が少しずつではあれ広がり、その機会を生かそうという難民側の動きも見えてきたからだ。

難民ら定住外国人の子どもらの学習支援をしてきた東京の社会福祉法人「さぽうと21」は、05年から大学・大学院への進学支援を始めた。成績が優秀なのに経済的な事情で進学をあきらめた事例もあったためだ。1人あたり年間40万~100万円を支給し、これまでに59人が学んだ。事務局長の高橋敬子さんによると、卒業後の就職も順調で、今年も大手通信会社や技術系企業に内定が決まっているという。「かつては『帰化しないと就職できないのか』といった相談もあったが、ここ数年は外国籍の学生に対して企業の門戸が広がったと感じる」

就職へのステップになる専門学校でも、かつては外国人の入学を断るところがあったという。だが、さぽうと21が今年、首都圏の専門学校にアンケートしたところ、回答があった83校のうち35校が受け入れに前向きな回答を寄せたという。

大学にも門戸を広げる動きがある。関西学院大は5年前に難民向けの奨学制度を設けた。国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所が推薦する学生を、学費免除、生活費支給で受け入れる。すでに13人がこの制度で入学した。

関西学院大学で司法試験合格をめざすヘインさん
ミャンマー出身で法学部3年のヘインさん(34)は04年に来日。なかなか難民認定されず、入管施設に収容されたこともある。そのときの悔しさをバネに、司法試験合格をめざして猛勉強している。

ミョウ・ミン・スウェさん(43)はミャンマーでの弾圧を逃れ、偽造旅券で来日した「不法滞在者」だった。難民に認定されたが、経済的に大学はあきらめかけていた。だが、この制度で入学。卒業後は東大大学院で母国の民主化プロセスを研究している。最近、ミャンマーへの投資に関心を持つ中小企業向けのコンサルタントも始めた。事業として拡大し「祖国と日本の両方に貢献したい」という。

外国人政策に詳しい関学大経済学部の井口泰教授は「この制度で潜在能力の高い学生を獲得できた。大学に進学していない優秀な難民はまだまだいる。欧州では難民出身の外交官が何人もいるが、日本でもしっかり支援すれば、国際分野で活躍できる人はたくさんいるはずだ」と話す。同様の奨学生制度は、08年に東京の青山学院大、11年に明治大も開始。関学大は今年から英語での推薦入学枠も設けた。

なお「離日」の動きも

東大大学院で祖国の民主化を研究するミョウさん
難民の活躍に期待がかかる一方で、数多くの難民が定住資格を得た日本を離れているのも現実だ。インドシナ難民はすでに約3割が日本を去ったとの推計もある。日本で得られる以上のチャンスを求めて、米国など、別の先進国に再移住した人が多いと考えられている。


苦労して難民認定を勝ち取ったミャンマー難民でも事情は同様だ。在日ミャンマー人の新聞編集をしていたミョウさんは、日本から米国に移住したミャンマー人は、この数年で20人以上いるとみている。

NPO法人難民支援協会の吉山昌事務局次長は「一部の企業や大学で変化もでてきてはいるが、就職での日本語の壁はまだ厚いし、事業をしようにも店舗やお金を借りるのは難しい」という。「手間も費用もかかるが、日本社会の未来への投資と考え、日本語学習や起業の支援などを続けていく必要がある」

あさくら・たくや

1971年生まれ。英字紙記者を経て2003年朝日新聞入社。12年4月から大阪社会部記者兼GLOBE記者。







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