2015/08/14

ベルリンの街角で見たエア・ベルリンの広告

Do the company justify its own financial difficulties by saying this?
ベルリンの街角で見たエア・ベルリンの広告。
ベルリンのオルタナティブ的イメージをうまく使っている。
こうやって大赤字状態を正当化していると解釈するのは深読み?

2015/08/11

【訪日客同行ルポ】乗り放題切符で気まま旅 高速バスで巡る昇龍道 : 47トピックス - スマホ版 - 47NEWS(よんななニュース)

http://www.47news.jp/smp/47topics/e/267951.php

香港の小学校教師、 陣富賢 (ちん・ふけん) さん(34)は「インターネットで乗り放題乗車券のことを知り、昇龍道を回ることにした。東京や大阪はこれまで何度も行ったが、東海北陸地方は初めて」と笑顔で話す。

【訪日客同行ルポ】乗り放題切符で気まま旅 高速バスで巡る昇龍道 : 47トピックス - スマホ版 - 47NEWS(よんななニュース)

http://www.47news.jp/smp/47topics/e/267951.php

香港の小学校教師、 陣富賢 (ちん・ふけん) さん(34)は「インターネットで乗り放題乗車券のことを知り、昇龍道を回ることにした。東京や大阪はこれまで何度も行ったが、東海北陸地方は初めて」と笑顔で話す。

2014/06/27

記事:地元・香港人も「懐かしい」! 本気で60年代にタイムスリップできる喫茶店

http://news.mynavi.jp/hongkong-shokudo/kiji_c.html


地元・香港人も「懐かしい」! 本気で60年代にタイムスリップできる喫茶店

地元・香港人も「懐かしい」! 本気で60年代にタイムスリップできる喫茶店
ショッピングやグルメと、様々な店が集まる香港の人気エリア・コーズウェイベイの喧噪からちょっと外れた、静かなファッションウォークエリアにこつ然と現れる「冰室(氷室)」の文字。ここが今、地元の人にも"どこか懐かしい喫茶店"と評判だという。
「冰室」とは香港で60年代にあった喫茶店の意味で、喫茶&軽食を兼ねた現代の食堂"茶餐廰(チャーチャーンテーン)"の原型である。氷室というとかき氷をイメージするが、洋風の軽食や冷たい喫茶メニューなど、香港が豊かになるにつれて高級レストラン以外でも食べられるようになったメニューを出していたため、"冰(氷)"の文字がついたという。
レトロ"風"ではなく"本物"へのこだわり
そんな店の名はMatch Box Cafe「喜喜冰室」。中に入ると、一瞬にして60年代の世界に引き込まれる。入り口には黒電話や瓶詰めのお菓子、照明は現代では生産していない当時の人気ブランド「紅A」のランプを香港全土から取り寄せたものだ。さらにスタッフのユニフォームも、当時の喫茶店で着用していた開襟シャツにチェックパンツをオリジナルで製作、と隅から隅まで完璧なまでに当時を再現している。
そもそも「子どもの頃に行った喫茶店をそのまま作りたかった」というのが、今では複数の飲食店を経営する社長の夢だったという。レトロ風だったり、似ているものを集めている店はあるものの、ここまでオリジナルや本物にこだわって収集しているのは珍しいそうだ。
日本の駄菓子屋にも売っていたようなレトロなおもちゃについても、現存するものを取り寄せるなど、社長の本気度は半端ない。これらは非売品ながら、子ども連れのお客さんなどには当時の遊びを体験してもらえたらと、希望されたらプレゼントすることもあるそうだ。
レトロ"風"ではなく"本物"へのこだわり
見た目や食感、調理法も再現! でも味は現代風
見た目や食感、調理法も再現! でも味は現代風
こだわりは内装だけにとどまらない。人気のセットメニュー「懐古茶食」(44香港ドル=約580円)は、とろけるようなハムとねぎの卵とじに、赤味のチャーシューがのったスープスパゲティ。そして、トーストはチーズを塗って焼いているという。卵の半熟さは昔と違ってふわふわ仕上げ、スパゲティもゆですぎず(アルデンテとはいかないが)、味はきちんと現代風。当時を知らない若者にも人気なのがうなづける。
香港の昔ながらの味に挑戦したければ、とりもも揚げ(サラダ付き)の「港式炸鶏脾沙律」(52香港ドル=約690円)もおすすめ。味付けして乾かした後、油で揚げるという当時の調理法を踏襲。皮が薄くてパリパリしていて、子どもが大好きなメニューだそうだ。
  • Match Box Cafe「喜喜冰室」
  • Match Box Cafe「喜喜冰室」
日本でもありそうなあずきミルク「紅豆削氷」(28香港ドル=約370円)は、大きくてやわらかいあずきとエバミルク(無糖練乳)のコラボレーション。ほんのり甘めで、飲みやすい。クリームソーダに牛乳を混ぜてしまった「忌廉溝牛○」(○は「女乃」、44香港ドル=約580円)など、飲み物メニューも豊富。エバミルク関連ドリンクは日本ではなかなかお目見えしないので、香港に来た際にはぜひお試しあれ!
※1香港ドル=13.2円で換算。記事中の価格・情報は2014年6月取材時のもの
日本でもありそうなあずきミルク「紅豆削氷」(28香港ドル=約370円)

2014/04/21

記事:イギリス統治時代に持ち込まれたパン文化が進化して香港オリジナルのパン(ベーカリー)文化へと発展

https://www.facebook.com/DiscoverHongKong.jp?hc_location=timeline

香港はイギリス統治時代に持ち込まれたパン文化が進化して香港オリジナルのパン(ベーカリー)文化へと発展しました。そんな香港オリジナルなベーカリーを楽しむにはローカルカフェがおすすめです。パイナップルパンやエッグタルトはもちろん、お店によってオリジナルなベーカリーを用意しているところもあるので、ぜひお試しください。#EXILE #香港観光親善大使
【関連情報(英語)】http://p.tl/QIfI
16Like ·  · 

2014/03/06

記事:ダークツーリズム:福島と原発は観光地化すべきか…チェルノブイリで考えた

http://mainichi.jp/feature/news/20140219mog00m040014000c.html

ダークツーリズム:福島と原発は観光地化すべきか…チェルノブイリで考えた

2014年02月19日
記念撮影スポットとなっているチェルノブイリ4号機前
記念撮影スポットとなっているチェルノブイリ4号機前

 ◇ここまで見せる

 昨年の「新語・流行語大賞」にノミネートされた「ダークツーリズム」という言葉をご存じだろうか。「負の遺産」を観光に生かそうという試みで、東京電力福島第1原発とその周辺の観光地化が提唱されている。3年前から観光地化を進めているチェルノブイリ原発(ウクライナ)の現地取材を通じて、福島と原発の観光地化を考えた。【石戸諭】

 ◇福島でも「海上から」計画

 福島原発の観光地化を唱える東浩紀さんが監修したツアーに申し込み、昨年11月下旬、チェルノブイリに向かった。参加者は学生ら約30人。福島県在住者もいた。キエフから車で約2時間。原発30キロ圏内の立ち入り禁止区域、通称「ゾーン」を見学する。原発自体は00年に運転を停止したが、廃炉作業は終わっていない。ゾーンの入り口で、ガイガーカウンターを1人ずつ受け取る。入り口付近の放射線量は0・1マイクロシーベルト毎時前後だ。
エブヘン・ゴンチャレンコさん
エブヘン・ゴンチャレンコさん
 ガイドを務めてくれたウクライナ立ち入り禁止区域庁のエブヘン・ゴンチャレンコさん(40)はこう話す。「(ゾーン内の)土地は元々、農業に向かず、畜産が主産業。若者が村を出たチェルノブイリに、原発は新たな産業として命を吹き込んだが、その原発が土地の命を奪った」。原発ができる理由は、どこも同じようだ。
 「ここは線量が高いですよ」。10キロ圏内に入り、ゴンチャレンコさんが線量計を見るよう促す。多くの観光客が訪れるコパチ村幼稚園の周辺だ。線量は7、10と段々上がり、方々のガイガーカウンターからピーと警告音が鳴る。幼稚園には、ぼろぼろになった教材や人形が放置されている。椅子やベッドも当時のままだ。
 約5万人の原発労働者と家族が住んでいたプリピャチ市内は、ほぼ事故当時のままの姿で残る。事故から5日後の1986年5月1日に開園予定だった遊園地の観覧車は、1人の客も乗せることなく、さびついた姿をさらしていた。
イワン・イワヌミッチさん
イワン・イワヌミッチさん
 翌日、「サマショール」(ロシア語で「自ら住む者」の意)と呼ばれる人たちをゾーン内に訪ねた。避難先から自主的に戻った住民だ。イワン・イワヌミッチさん(76)は鶏や豚を育てていた。避難生活で体調を崩し、帰還を決意した。精神的に楽になり、体調は回復したという。「ずっと暮らしていた土地から引きはがされるのはつらいこと」と話し、福島県からの参加者に「いつか問題が解決し、帰れる日がくる」と声をかけていた。

 その後、原発内に入った。そこで初めて防護用に白い帽子、白衣を着用する。見学が許可されたのは2号機の制御室。機器やモニターがずらりと並ぶが、さすがに旧式だ。使わないボタンには白いテープが張られていたり、×マークが付いていたりする。職員の許可のもとボタンも触ることができた。
2号機の制御室を見学する参加者ら
2号機の制御室を見学する参加者ら
 ツアーの終着点は、ワレリー・ホデムチュクさんの墓碑だ。ホデムチュクさんは、4号機での作業中、事故に遭った作業員だ。両手を上げた人の姿をかたどった彫刻の前には、赤、白、青と色とりどりの花が飾られていた。壁を隔てた先に4号機がある。遺体はまだ見つかっていない。線量は上がり、12マイクロシーベルト毎時。警告音が鳴り響く。
4号機から壁を隔てたところにあるホデムチュクさんの墓碑
4号機から壁を隔てたところにあるホデムチュクさんの墓碑
 観光客にここまで見せる理由は何か。ゴンチャレンコさんは淡々と答えてくれた。「ウクライナでも原発事故は過去の話。忘却は事故後、2年を過ぎた頃から始まったと思う。今は事故が起きた1986年という数字しか知らない。観光が解禁されてもウクライナからのツアー客は少ないよ」。続けて「今のチェルノブイリは話題にもならない。自分の仕事は、情報を与えて知ってもらうこと」と話す。
    ◇
 東日本大震災も、話題になることは確かに減ったと感じる。福島はどうなっているのだろう。昨年12月、福島県いわき市を訪ねた。
 観光を通じて福島の現状を伝えようという動きが始まっていた。事故後の海洋汚染を自主調査するプロジェクト「いわき海洋調べ隊 うみラボ」を創設した小松理虔(りけん)さん(34)たちは、今春をめどに海上ツアーを計画。昨年11月、いわき市の漁港から船に乗り、海から何が見えるのかを検証した。海を北上すると東電広野火力発電所、福島第2原発、そして第1原発が順番に見えてくる。小松さんはこう感じた。「いわきに来てもらった人たちに、海を生活の糧にしている僕らの暮らしや、海から見た日本のエネルギー政策の歴史を伝えられるのでは」
 住民の反応はどうなのだろう。小松さんは「現場に来てほしくないという人も少なくない。でも案内したい人がいて、現場を見たいという人がいれば『観光』は成立する。この流れは止めることはできない」と話す。大事なのは現地発であることと、画一化されない形だ。「観光の形を作るのも計画を作るのも、いわきに住み生活をする自分たち。現場発の動きを提案したい」という。
 ゴンチャレンコさんは、数字としてしか語られないチェルノブイリのことを「冷たい知識」と呼んでいた。東日本大震災、原発事故から間もなく3年。震災や事故が「冷たい知識」にならないために何が必要なのか。ダークツーリズムに大きな可能性を感じる。

 ■ことば

 ◇ダークツーリズム

 追手門学院大の井出明准教授(観光学)によると「戦争や災害の跡といった人類の負の遺産を巡り、死者に追悼の意をささげ、現地の悲しみを共有する新しい観光のスタイル」だ。原爆の惨禍を語り継ぐ広島、公害の現状を知ることができる熊本県水俣市、阪神大震災後の神戸市などが国内のスポットという。
 この言葉が“流行語”になったのは、東浩紀氏が提唱し、ジャーナリストらが昨秋、書籍にまとめた「福島第一原発観光地化計画」がきっかけだ。著者らが着目したのが、2011年に観光ツアーが解禁されたチェルノブイリ原発だった。現地取材を加味した「チェルノブイリダークツーリズムガイド」はベストセラーとなった。
福島第一原発観光地化を提唱する東浩紀氏=2013年12月14日午後6時13分、石戸諭撮影
福島第一原発観光地化を提唱する東浩紀氏=2013年12月14日午後6時13分、石戸諭撮影

 ◇現地に行って発信を−−東浩紀氏

 「福島第一原発観光地化計画」を提唱し、今回のチェルノブイリツアーを監修した東浩紀氏に今後の展望などを聞いた。【石戸諭】
 −−監修したツアーを終えて何を考えたか。
 参加動機も年代も背景もバラバラな人たちが集まり、原発事故が起きたチェルノブイリを回る経験を共有した。ツアーで語り合う中で、同じ経験でも、見て感じたこと、考えていることが違うことに気づいたと思います。つまり、自分たちの社会の多様性に気づいたということです。これまでのダークツーリズムは、各スポットを回る個人の旅行客を前提にしていたところがありました。今回のように、団体ツアーで行くことによって得られる効果があるというのが新しい発見だったと思います。
 −−ツアーの採算は。
 通訳の人件費も含めて最低限の経費はまかなえました。今、問われているのは福島であれ、チェルノブイリであれ、持続的に関心を持ち続ける仕組みをどう作るかです。その中では、当然採算性も考えないといけない。最低限の採算が取れたことで、2回目のチェルノブイリツアー計画も動き出すことができました。
 −−福島第1原発の内部も取材されています。今後の福島とダークツーリズムの可能性は。
 福島の津波や原発事故の被災地を巡るツアーは絶対にできます。私たちの書籍でも取り上げましたが、既に現地で自主的に動いている人もいますし、彼らの活動を制度化すればいいのです。

 問題は原発。僕は、原発は一般市民は入れないと思っていました。例えば、厳重な防護服がいるのではないか、と。しかし、これはイメージであり、実際には何の根拠もない話です。観光地化計画のメンバーと一緒に原発の敷地内に入りましたが、普段着にマスク、足カバーでバスに乗って回ることができました。おそらく1時間半〜2時間くらい敷地内にいましたが、バスに乗っていた間の累積の被ばく量は20〜30マイクロシーベルト。このくらいなら、今でも物理的には敷地内をバスで巡ることは可能です。あとは東京電力、政府、地元自治体の考え方次第であって、一般市民がバスで回ることは既にできると思います。
 やはり、実際に現地に行くことでしか分からないことがあります。原発内には作業員がいて、その人たちの日常がある。平服で働いている場所もあります。イメージにとらわれることがないよう、実際の現地の様子が見られるようにした方がいいと僕は思っています。今回のツアーでも、参加者がツイッターでチェルノブイリの様子を発信してくれました。同じように、福島でも現地に行って何を感じたかを発信していく環境を作っていくことが、大事なのではないでしょうか。
ダークツーリズムを研究する追手門学院大の井出明准教授=2013年12月13日午後4時50分、石戸諭撮影
ダークツーリズムを研究する追手門学院大の井出明准教授=2013年12月13日午後4時50分、石戸諭撮影

 ◇帰る時に何か受け取って−−井出明・追手門学院大准教授

 追手門学院大・井出明准教授(観光学)にダークツーリズムが提唱された経緯と課題について聞いた。【石戸諭】
 ダークツーリズムは戦争や災害の跡といった人類の負の遺産を巡り、死者に追悼の意をささげ、現地の悲しみを共有する新しい観光のスタイルです。90年代後半に提唱されました。議論の発祥地の欧州では、既に旅行会社もツアー名に取り込むなどマーケティングとしても一般化しています。代表的なスポットとして、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所が挙げられます。今後、福島に限らず、東日本大震災の被災地に世界各国から「ダークツーリスト」を名乗って旅行客が訪れることになるでしょう。
 その際、重要なのは地元住民、NPO、大学などが主体となり、現地発で進める「着地型観光」を展開することです。外部からの提案だけでは限界があります。地域を巻き込み、旅行客に何を見てほしいのか、誰の話を聞いてほしいのか、旅のコンセプトから考え、企画を組み立てていくことが大事です。当事者による語りだけでなく、起きたことを相対的に説明できるガイドの育成にも現地発で取り組むべきでしょう。
 「観光」という言葉にレジャーを想起する人も多いと思いますが、広島と福島、あるいはチェルノブイリを巡ることで、戦争や事故の記憶、被ばく者、被災者の気持ちを受け止め、科学と社会の負の側面に思いをはせることができます。入り口は興味本位の人もいるかもしれませんが、帰る時には何かを受け取っていく旅を作ることが大事なのです。