2013/05/14

記事:脱皮した新興政党、「環境」以外は妥協/ドイツ

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[Part3]脱皮した新興政党、「環境」以外は妥協/ドイツ






市民運動から政党となり、政権の一翼を担うまでになった一例が、ドイツの「緑の党」だ。

緑の党の始まりは、1970年代に広がった反原発、反戦、環境問題、女性の権利向上などを訴えた市民運動だった。州議会から連邦議会(下院)へと進出するのに伴い、反原発と環境問題を前面に掲げて支持者を拡大。ドイツの大政党が軒並み党員を減らすのを横目に、党員数を少しずつ増やしてきた。現在は約6万人と30年余りで6倍以上になった。

86年のチェルノブイリ原発事故は反原発の追い風になり、98年に初めて連立政権に参加。2009年の連邦議会選挙では得票率が10%を超えた。

11年、ドイツは22年までの脱原発を決め、緑の党は、30年来の目標に道筋をつけた。

ただ、中核となる政策を浸透させるまでには、現実主義者と原理主義者との激しい党内対立もあった。

ドイツでは過去50年以上、連邦議会で単独過半数を取った政党はなく、各党は選挙直後から想定される連立相手との政策のすり合わせを始める。緑の党は、譲れない環境問題をのぞき、連立相手との間で妥協を図ることで支持の幅を広げてきた。

こうした妥協には批判もある。党の創設メンバーの一人で、途中で離党したユタ・ディットフット(61)は「市民運動時の理念を失った」と嘆く。

98年に連立与党入りする際に大きな役割を果たしたのが、副首相・外相となったヨシュカ・フィッシャーだ。NATOの軍事行動へのドイツ軍派兵などについて主張が異なる社会民主党(SPD)と連立を組んだ。こうしたフィッシャーの現実路線を嫌い、党員数千人が離れたと言われる。

しかし、創設時からのメンバーだったエバ・クイストロップ(67)は「脱原発に向けた法改正にはSPDとの連立が必要だった。目標への道筋を作ることこそが政治だ」と言う。

党の連邦議会議員団長レナート・クナスト(57)は「1970年代、私たちは新しいビジョンを語るだけだった。しかし、いまは一歩ずつ変革を進める立場にいる」と語る。

緑の党の伸びの裏には、他の大政党の凋落もある。最盛期にはSPD、キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)ともに約100万人の党員がいたが、現在ではそれぞれ50万人弱と約60万人に落ち込んだ。

フンボルト大教授のフリードベルト・ルエブ(60)は「緑の党は、高学歴、高収入で増税による所得の再配分を容認する人たちに支えられている。この層が有権者の10%ほどを占め、他の党に流れないことが強みだ」と話す。

(宮地ゆう)

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